失敗など その72
- 2019.06.24 (Mon)
失敗のあれやこれやを振り返ってみる、第285弾!
駆け出し以来、非常にお世話になったあるお得先様の社長さんとの商いでの大失態。
当時は、ものは作れても自社製品というものが無く、ブランドも何もあったもんやない頃で、
つまり自分たちがメーカーとして販売できる製品は未だなく、下請けの加工屋なので。
完成品として販売できるものというのは、他社さんから仕入れた商品しか無かった頃の話。
売上つくらな、会社やっていけへん。何がなんでも何か売らんとあかん。そんな毎日。
ある朝、懇意にしている問屋さんから出物が出たという連絡あり。
真っ白に光るシルクのパジャマだった。値段を聞いてこれは売るしかない!
1枚サンプルとして入手して、早速、意気揚々として営業に出発。
目指すは当時の超お得意先のH商店さん。
その社長さんに直接の売り込みをしようと。
しかし、40半ばのエネルギッシュな社長さんは、社員さんたちと同じ営業フロアで忙しそう。
20代のひよっこ営業の話など聞いてもらえるような雰囲気でない。
ただ、手ぶらで帰らへんと覚悟していたので、辛抱強く待つこと数十分。
と、受話器を戻すや否や、
H社長 「どないしたんや。お前さんな、そんな時間あんのやったら、
下の倉庫の整理でも手伝ってやってくれへんか。」
といつもの調子の軽いジョブがやっと飛んでくる。
待ってましたとばかりに、
私 「社長、あとでお手伝いしますし、先ず、商品みてください。これですシルクのパジャマなんです、、」
と売り込みに入る。
価格を提示して、それから叩かれて。また叩かれて。その上でまた叩かれて。勿論、値段を。
ハードな商談をこなして、初回の注文として100枚のオーダーをいただく。
そして、最後に念を押された。
H社長 「いつも、お前さんには言うてるけど、在庫は確保してあるんやろな。
人のふんどし履いとんのと違うやろな。うちの会社は、ブローカーとは取引せぇへん。これ商売の常識やで。」
これも、いつものH社長の常套句。
私 「は、はい。勿論です。まだ入荷は数日後ですけど、もう仕入れてますから安心してください。」
喜び勇んで会社に戻り、問屋さんにシルクのパジャマ、強気の300枚の注文を電話。
ところが、もう在庫ありません。との返事。「もう、売れてしもたみたいやわ。」
私 「約束したやん、明日まで置いといてくれるって、、、」
数時間前の話は、どうなった。
聞くと、その問屋さんも実際の仕入れをせず、情報だけで売り買いしようとしてたのが判った。
まんまブローカー根性が招いた大失態。
問屋さんの担当者相手に押しても引いても埒あかへんので、
取り敢えずH商店さんのH社長に謝りに、その日、二回目の訪問。
H社長に事情を説明するも、
「100枚全部、あるお客さんに売ったから。いつ入荷するんや。」以外のお言葉一切なし。
立ちすくむ駆け出し営業マン。
何言うても、聞いてもらえず、フロアに土下座をしたまま、その会社の終業時間をむかえる。
他の社員さんから退去を促されて、何の結果も得られずH商店さんを出る。
次の日も、次の日も、その次の日も毎日、H社長を訪ねるも、一切、口もきいてもらえへん。
一週間ほど経った日。
H社長が一言 「あれと同じパジャマ、1枚◯◯◯◯円で、△☓◯商事が売りに出しとるで。」
一瞬、目の前がパッと明るくなった。それ買ってきたらええんやん。と思ったと同時に、もいちど奈落の底へ。
売りに出てる価格で買って、H社長に約束した値段で売れば、1枚あたり1,500円の損。
100枚で15万円の大赤字。丁度、当時の大卒初任給の額くらい。正直、かなりの額。
結局。そうした。100枚買っていただいて15万円損して取引を続けさせていただいた。
近江商人の血が流れるH社長には、その後もお取引をいただいて、その数年後に急逝されるまで
商いについて、本当に色々なことを教えていただいた。失敗を感謝に。
大東寝具工業 大東利幸